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薬剤師という職業も知らなかった僕が今に至るまで【社長No.2】

クラスターメディカル代表の佐藤です。

 

新型コロナ、なかなか終息に向かいませんね…

それほど長い年月を生きているわけではありませんが、生きている間にこんなことがあるとは思ってもみませんでした。

 

「それほど長い年月を生きているわけではない」という僕は今年36歳になりました。

今回は僕自身のことを少し書いてみることにします。

会社のブログなので、クラスターメディカルの経営理念や今後の展開といったことをどんどん語っていきたいと思っていますが、まずは代表の僕がどんな人間なのかを知ってもらうことが、クラスターメディカルという会社を理解してもらうのに不可欠だと考えるからです。

 

それに、自分の会社、あるいは自分が気になっている会社のボスがどんな人間なのかってオフィシャルな経歴以外にも知りたいと思いませんか?僕なら知りたいかなと(笑)

 

というわけで、早速…

 

子どもの頃はサッカー少年でした。足が速かったんです。運動会はいつもアンカーでした。運動会やマラソン大会とかだけモテるタイプのやつクラスにいたと思います。

 

それ僕です!!!

 

といってもアウトドア一辺倒ってわけでもなくて、ゲームも大好きで。

昔からわりといろいろやっちゃうタイプです。

サッカーは大学までずっと続けていて、高校時代には横浜市の選抜にも選ばれて、県ベスト8くらいまで、めざせ選手権って感じの高校生でした。

ただ、これで食べていけるというレベルではないなと自覚してました。

 

僕が薬剤師を目指したのは、薬や研究、薬剤師の仕事に興味があってという立派な?理由からではありませんでした。

 

両親は薬剤師でしたが、なんと僕は大学受験まで、薬剤師っていう仕事もよく知らなかったんですよ。

子どものときに熱出すと親が勤めてる薬局で座薬を打たれてましたが、当たり前のことだと思ってて。

そんなこともあって、進路を決める頃には親は薬学部進学をすすめ、僕は行きたくないという状況に。当然、三者面談でも完全に物別れです。

 

ただ、その頃って不景気で資格ブームで、薬剤師は一生ものの資格だし、薬剤師バブルっていうか薬学部はすごく人気が高かったんです。それと僕が高2の時に親が独立して今の会社を作り、がんばってたことも知っていたので、親孝行しようかなぁという気持ちもあって薬剤師を志しました。

 

ただね、めでたく合格したものの、入学したら、相模湖キャンパスという場所で、思い描いていた都心のキャンパスライフとは程遠いものでした…

キラキラした女子大生に会えることを期待していたのに(汗)

 

勉強や実習にやる気満々ってことも全然なくて、サーフィン・バイク・バイト・恋などそれなりに相模湖ライフを楽しんでいました。要領のいいタイプなので試験は一夜漬けで、友人たちに助けてもらって成績はそれなりに良かったです。

薬学生はあるあるですが、過去問手に入らないと死にます…

 

僕の頃は薬学部は4年制で、病院実習のみ行きましたが、薬剤部で雑用みたいなことばかり。とにかく「早く終わってほしい」と思ってました。病院実習で良かった思い出といえば美人の薬剤師さんと知り合いになったことぐらい?笑

 

研究室も緩いところを選んだので時間に余裕もあったし、ダイビングに熱中して沖縄で一ヶ月リゾートバイトして、帰ってきたらまたサーフィンみたいな生活してたら、さすがに成績がめちゃくちゃ下がって、こりゃまずいってことで勉強しだしました。

国試の勉強も4年の後期、11月頃から始めました。フツーに遅すぎますけど。

あ、ちゃんと合格はしましたよ!

 

薬剤師になるまではこんな調子で。今の僕をご存じの方からしたら、なにやってんだよ!って思われそうですが、この後、外の会社に薬剤師として就職したことを経て、意識も行動も大きく変わりました。

そのことは次回に書きたいと思います。

 

会社を引き継いでからのことだけを書くと、どうしても意欲満々でバリバリやってるところが強調されてしまいますが、こういう僕も知ってもらえたらと思います。

社内の人も初めて聞いたという話かもしれませんね。

このブログでは、いろいろな角度からクラスターメディカルについて語ることで、会社に興味と親近感をもってもらえる一助になればと思っています。

 

P.S写真をあさったら沖縄時代の自分が出てきて、黒さにびっくりしました…

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